「死の終わりに冥(くら)し」

東京の国立博物館で東寺展をやっているらしい。残念ながら遠方なので行けそうにないが(地方開催がないっぽいのが残念!)仏像の配置が曼荼羅の配置と同じになっているようでその間を歩き回れるのはすごい。仏像の背中はなかなか見れない。現に東寺では柵の向こうに安置されていたので何度か行ったことはあるが後ろ姿など見たことはなかった。

弘法大師・空海
空海はわたしの最も憧れとする人で同時に尊敬する人でもある。今後も様々な角度で触れる機会もあるだろうが何より彼の残した言葉が一度聞いたら深く脳裏に残って消えない。

『生まれ 生まれ 生まれ 生まれて 生の始めに暗く、
 死に 死に 死に 死んで 死の終わりに冥し』

『虚空尽き 衆生尽き 涅槃尽きなば 我が願いも尽きなむ』

この言葉を知ったのはまだ高校生のときだったと思う。わたしはどうしても知りたくなって一人で東寺まで出掛けていった。
そこに空海の見たもの、空海の思い、そして願いが残っているのではないかと思って。
千二百年前の人の言葉。千二百年残った言葉。
わたしには決して成し得ないこと。
なんでこの人はこんなことが言えるんだろう。孤独も深いが慈愛も深い。
この人は何を見ていたんだろう。
全てを知りたかった。

東寺の立体曼荼羅
そこで目にしたのは巨大な仏像群だった。これだけの仏像が所狭しと堂内に配置されているのにまず驚いたがそれが実際の曼荼羅と同じ位置関係になっていて密教を感覚的に捉えることができるようにと空海が考案したものであることに更に驚いた。
曼荼羅は所詮絵でしかない。それを形作ってしまうなど、彼以外の誰が思いついただろう。
密教とは「秘密仏教」の略である。その教えはもちろん経典として書き記されたものもあるがそれ以上に「感じること」も重要とされた。その教えをいかに広めるか、その方法として立体曼荼羅は編み出されたのだ。
空海が後に天台宗に密教を取り入れようと経典の貸し出しを望んできた最澄に対してついには訣別してしまう理由もここにある。密教を知るためには経典の知識だけでは不十分だったからだ。

高野山の壇上伽藍
同じ思想から作られたものが高野山にもある。それが壇上伽藍だ。ここでは建物そのものの配置が曼荼羅と同じになっている。もう今では内部は非公開となっている所が多いのが残念だがそれぞれのお堂の中に曼荼羅と同じ仏像が配置されている様子はまた圧巻なのだろう。そしてそうやって思想を体現したその道の先で、空海は今も眠っている。

「入滅」ではなく「入定」
一般的に高僧が亡くなることを入滅という。仏教の祖であるブッダの場合もそう呼ばれる。
しかし空海は入定という。同義とされることもあるがその違いは何か。
それは入定が「死ではなく永遠の瞑想」に入るということだ。即身仏もこの思想から来ている。
つまり空海は今でも瞑想を続けているということになる。高野山では現在でも毎日食事が運ばれているという。

なぜ空海はそれを選んだのだろう。
『死の終わりに冥し』と残したその人が。その暗闇に永遠に在り続けてもなお、叶えなければならない願いがあったのか。
衆生がまだ尽きていないから。

ああ、この人は、すごいな。

もうそれ以外の思いがなかった。
わたしはこのときからずっと空海の魅力に取り憑かれている。

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