謎すぎる伊勢の「神宮」③ なぜ祭主は女性になったのか

現在伊勢神宮の祭主を務めているのは天皇陛下の妹である黒田清子さんだ。
 祭主という役職は大変古い。祭主以前の祭官という役職が神宮にはあったのだが初代祭官は大化の改新で有名な中臣鎌足の父が務めたと言われている。
そこから明治時代以前までは世襲され、その大中臣の流れをくむ藤波家が祭主の家柄だった。 初代祭官が男性であったように祭主とは江戸時代まで代々男性が就く役職だったのだ。
それがなぜ現祭主は女性になったのか。 それには斎王という古代の制度が関係している。

  斎王とは
これは伊勢と賀茂にだけ置かれた制度で古くは飛鳥時代より記録がある。
未婚の皇族女性が神に仕えるためにその地に赴いて祭礼などを司る。斎王は天皇の代替わりで交代することが多く、一度占いによって決まると精進潔斎の上伊勢の地に住み余程の理由がない限り都に帰ってくることはできなかった。
こうなると選ばれるのは名誉なのか災難なのかよくわからない。
 特に伊勢の斎王を賀茂のそれと区別するため住んでいた御所の名をとって斎宮(さいくう、いつきのみや)と呼ばれることもある。
内容的には現代の祭主とそれほど変わらないのかもしれないが一回行ったら職務を解かれるまで帰ってこられないことや未婚が絶対条件だった辺り、今の考え方と大きく異なる。

 女性と穢れ 
特に平安時代、人々は穢れを極端に嫌った。物忌みや方違えというどう見ても気休めとしか思えないことを大真面目に行い、穢れを排除しようとした。
その穢れとして分類されたものの一つに「女性」がある。出産などを血の穢れとして、「赤不浄」と呼ばれた。
 現代社会で「女は穢れている」などと政治家のような立場のある人間が発言しようものなら即刻辞任するしか道がないだろうが当時は政に関わる貴族たちが平然とそれを口にしていた。
そのため寺院でも女性の入れなかったところは多く、わたしの好きな高野山でさえ女人禁制が解かれたのは20世紀の初頭である。それまでは女人堂というかなり手前にあるお堂にしか入れなかった。
 もちろん尼寺もあり女性が仏教を信仰すること自体は禁じられていない。
 ちなみに明治以降多くの寺社の女人禁制が解かれ女性の参拝が許されるようになったが未だに女人禁制が続いている場所がある。それが大峯山だ。修験道の修行の場であり今でも山道の起点には「女人結界」と彫られている。
 神道は伊勢神宮の主祭神が天照大御神という女神であることもあり、女性に寛容といえるのかもしれない。未婚の女性にこだわる辺り、もやもやする点はあるけど。
 しかし女性の立場から言わせてもらうと男性だってその女性の体内から血まみれで産まれてくるはずなのに「自分たちは穢れていない」と思ってたとか、いろいろどうかしてるとしか思えない。 

そして現代の祭主へ
この斎王の制度に倣い祭主が女性になったのは1947年、戦後のことである。明治天皇の娘である北白川房子さんが初代の女性祭主となった。さすがにこの時代、もう未婚女性という斎王の決まりは廃止されており、既婚の元皇族女性である。天皇の代替わりで交代という慣習もなく、黒田清子さんで既に4代目だ。

 なぜ女性になったのかという点においては戦後GHQが国家神道による軍国主義の復活を危惧したためとも言われている。 ここでうまく立ち回っていなければ皇族とか関わりの深い伊勢神宮はどうなっていたのだろうか。
 神宮は「故事に倣った」という形をとって女性を最高位の祭主に祀り上げることで生き残りを図ったともいえるのかもしれない。

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