謎すぎる伊勢の「神宮」④ 警備してるのは警察でも警備会社でもない

伊勢神宮に行くと警備の人が結構様々な場所に配置されていて詰所になっている小さな建物が大体のお宮の前にあるのに気づいただろうか。本宮はもちろんどこでお参りしてても大抵警備の人が目を光らせているのである。(時々無人のときもあるけど)
冷静に考えてここまで厳重に警備されている神社などなかなか見かけない。大体のところは授与所や社務所に巫女さんや宮司さんがいるくらいで警備員がいるところなどほとんどないと言っていい。
確かに神域が広いので神職だけではカバーしきれないということもあると思う。でも正直、「日本ってこんなに危ない国だっけ」と思わないこともない。
そしてなぜか、警備の人の制服がカッコいい。

警備の人は「衛士(えし、またはえじ)」という
衛士という役職の歴史は古く、奈良・平安時代に宮都の警備にあたっていた人たちをそう呼んでいた。これはかの有名な防人の都バージョンで全国から集められ、行ったらなかなか帰ってこられないこともあったらしい。なかなかハードである。
ちなみに現在の皇居及び天皇などの警備は皇宮警察と皇宮護衛官というガッツリ国家権力な人たちが行っており、衛士とは呼ばれていない。
つまり本家本元で呼ばれなくなった呼称が神宮に使われているのである。

神宮衛士とは
身分としては「神宮」という宗教法人の職員である。職務には建物の警備(あまり聞き慣れないが警衛と呼ばれるらしい)の他森林の警備も含まれているというからすごい。確かに放火でもあったら大変だとは思うが伊勢神宮の総面積は約5450ヘクタールにも及ぶのでこれを全て見張るなど不可能といっていいと思う。
以前は官吏と呼ばれる国家公務員のような身分だったが戦後さすがにこのまま天皇の先祖は神様であることを主張する施設を国の管理下に置くことはGHQの手前できるはずがなく、神宮司庁の職員となり現在に至っている。

ちなみに御陵衛士とは
同じ衛士繋がりで「御陵衛士(ごりょうえじ)」というものがある。
だがこれは幕末に新選組から伊東甲子太郎一派が分離するために結成したときの組織名であり孝明天皇の陵を守るという名目があった。やはり天皇関連なので衛士という名前をつけたのだろう。
ただこの分派は結果から言うと失敗し、伊東甲子太郎は新選組によって斬り殺され死体は路上に放置される。それを回収に来た他の御陵衛士たちも待ち伏せしていた新選組によって襲撃され、生き残った者は薩摩藩邸に逃げ込み、その後の倒幕に関わっていくこととなる。
実際に陵の警備をしていたのかよくわからないレベルだ。

話がそれたが神宮は警備さえも自前で調達し、しかも衛士長を中心とするそれなりの組織なのである。その面積は伊勢市全体の森林の約半分を占めている。とんでもなく巨大な組織なのである。

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