【SS】「三種の神器」の受難③ ~剣編~

ようやく三種の神器を巡る受難に関して。

新羅の僧の暴挙
飛鳥時代(天智天皇の御代)
新羅(朝鮮)から来た僧・道行>「素晴らしい剣だ。新羅に持って帰ろう」
クサナギ>「おい、やめろ」
道行>「剣が喋った…? まさかな」

伊勢にて。
道行>「ここまで来れば大丈夫」
クサナギ>「いや、俺帰りたいし。そうだ、帰ろう」ピューイ
道行>「剣が飛んでった!」

道行>ゼエゼエ「やっと追いついた…。まさか元あった場所に戻ってくるとは。まあもう1回盗めばいいだけの話だ」
クサナギ>「なんでそうなるんだ」

摂津(大阪)にて。
道行>「やっとここまで来れた。さっさと船乗って新羅に帰ろう」
クサナギ>「だから新羅になんて行きたくねえよ。そうだ、ちょっと嵐でも起こそう」

バリバリバリザッバーーン
道行>「うわー!」

道行>「摂津に戻ってきてしまった。もう嫌だ、この剣絶対やばい。捨てよう!」
クサナギ>「身勝手な。(# ゚Д゚)そうはさせるか」ピトッ
道行>「ひいいい! 今度は離れなくなった!」

道行>「すみません。私はクサナギノミツルギを盗もうとしましたが自首します。なんかもう怖いです」
役人>「クサナギノミツルギを盗もうとしたわけ? 死刑だな!」

以上が熱田神宮側に残る盗難事件のあらましだ。(もちろん文書で剣は喋ってません。すみません)
この頃既に熱田に剣があったとするかは疑わしい点も多い。
しかし日本書紀にも新羅の僧が盗み出そうとしたという記述は見られるので盗難事件自体はあったとみていいと思う。
だが、実際に盗んだのは誰だったのか。
そこに権力争いとかそういうものは絡んでいなかったのか。天智天皇とは言うまでもなく大化の改新の立役者の一人である中大兄皇子である。
彼は蘇我氏を滅ぼし有間皇子を死罪にし、白村江への出兵まで行っている。どこで誰の反感を買っていてもおかしくない。

剣の祟り?
飛鳥時代(天武天皇の御代)
天武>「なんか最近体調悪いな」
僧侶>「よろしければ占ってみましょうか?」
天武>「頼む」

僧侶>「大変です! これ、クサナギの呪いらしいです!」
天武>「え、怖いんだけど。ちょっとクサナギは都から遠ざけといてくれる? そうだ、熱田に送っといて」
僧侶>「わかりました」

ここで熱田神宮に移されたという説があるので天智天皇の時代に既に熱田にあったのではこの逸話と矛盾してしまう。ただ、この点に関しては熱田神宮側の記録では一時的に天皇のもとにあったとしている。「一時的」にというのがいつからだったのかなどもよくわからなかったのでいずれにしろ、謎は多い。
それにしても皇位を象徴する三種の神器の1つである剣が持ち主である天皇を呪うとか、ちょっと理由が謎すぎる。なぜそんな逸話が生まれたんだろう。
天武天皇が先代の天智天皇の息子を殺して即位したことと何か関係があるのだろうか。

まだこの頃は兄である天智天皇と同じく、天皇自らが血で血を洗う時代だった。
クサナギの呪いとは、実際は誰の呪いだったのか。
そもそも呪いで人は死ぬか、という疑問が現代では出てくるがこの時代はそういうことがあったとしても不思議はないように思ってしまう。

なぜ剣なのか
今回紹介したように剣だけ、単体での逸話があるのだ。
前にも触れたように勾玉と鏡は一緒に作られたという伝説があったわけだが最初から剣だけ前の2つとは成り立ちが異なっている。
剣はもともとが人を殺すための「武器」だ。今でこそ剣を御神体とする神社もあるがそれが三種の神器に含まれていることはやはり天皇家が天孫の子孫だからその地位に就いているのではなく他の一族を滅ぼしてその地位に就いたことを象徴しているようにも思えた。

→次回は平安時代の受難について!

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