【SS】「三種の神器」の受難④ ~平安時代~

冷泉天皇の暴挙
冷泉>(夢の中)「八尺瓊勾玉の箱を開けなさい? わかった、ちょっと開けてみる」

冷泉>「あ~よく寝た。なんか変な夢見たな」
冷泉>「確か箱を開けろって。…この箱のことか?」(勾玉の宝櫃を取り出す)
冷泉>「今まで開けたことなかったけど開けろって言われたし、ちょっと開けてみるか」ガサゴソ

女官>「きゃああああああ! 主上(おかみ)、何をしておいでです!」
冷泉>「え、夢で言われたから開けてるだけだけど…」
女官>「今すぐおやめください!」
勾玉の宝櫃>モワモワモワモワ
冷泉>「え、何この煙! なんか怖い!」
冷泉>「もうヤダ、夢で言われたけど開けるのやっぱやめる!」

平安時代の三種の神器
この時代は天皇の側に置いておくということになっていた。
剣→前回書いたように熱田神宮に送ってしまっているので宮中にあるのは形代と呼ばれるレプリカ。
鏡→太古の昔に「わたしここがいい」と宣言して伊勢に居座っているのでこれまた形代。
勾玉→本物!
だから冷泉天皇も開けてみようと思ったのは勾玉だったのか。

冷泉天皇の背景と「気の病み」
藤原氏の娘を母に持ち、その有力な後ろ盾のもと、兄を押し退けて17歳で即位した天皇だ。ただ、幼い頃から「気の病み」があったと言われており、2年で退位している。ただ気の病みを象徴する逸話が蹴鞠にはまると足が傷だらけになってもやっていたとか、病のときや火事から避難するときに大声で歌っていたなどどれも子どもならやりかねないようなものが多い。
また、それらが記されているのが大江匡房の書いた書物らしいのだが匡房自身が冷泉天皇崩御の30年後に生まれていて実際にその奇行を直接見聞していないこと、また、藤原氏の血が濃い天皇について藤原氏とは姻戚関係にない大江氏が批判めいたことを書いていることなどからしてどこまで信じていいのかというのは難しい気もする。また、この頃の天皇は藤原氏の都合に振り回されて退位が早いということもよくあったのである。

「既に灰になっている」説
平安京は960年の最初の火災以降、しばしば火災に見舞われてきた。
当然火事になれば神器も持ち出さなくてはならない。
しかしその際に持ち出せなかったのか燃えてしまったとする説である。「三種の神器燃えカスになってた」なんて記述は流石にもし知っていたとしても恐ろしくて書き残せなかったということになるのだろう。
しかしこの説を証明するには天皇が持っている神器を強奪して中を開けて確認するしかないのでほぼ不可能だ。
でも灰になったことがばれると天皇の権威に傷がつくので大事に布にくるんで箱に入れて開けてはいけないことにしたというならなんか納得はいく。

ただこの前の伊勢の行幸の際もものすごく大事そうに係の人(?)が神器の箱を捧げ持っていたがあそこに入っているものがもし「何かもよくわからない燃えカス」だったとしたら、なんか気の毒になってくる。

→次回は最大の受難、安徳天皇の都落ち!

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