【SS】「三種の神器」の受難⑤ ~平家物語より・前編~

安徳天皇都落ち
1183年
平宗盛(清盛の三男)>「帝、都は木曾義仲が攻めてきて危のうございます。我等とともに落ち延びましょう」
安徳>(数え年6歳、満4歳)「わかった、危ないなら逃げるよ!」
宗盛>「帝が行かれるのだから三種の神器も帯同するように」
女官>「はい」


後白河法皇>「帝が平家と一緒に都落ちしてっただと? …やっぱり平家はだめだったな。新しい帝を立てるか」
臣下>「しかし三種の神器がありません。あれがなければ帝として認められないかと」
後白河>「そうだった。困った」

1ヶ月後、平家御一行様大宰府到着
宗盛>「ここまで来れば大丈夫。西国は平家に味方する者が多い。都もここに造ろうかな」


後白河>「そうはさせん」

大宰府
難波頼経(太宰府の代官)>「都から院宣だと? 平家匿うならお前らも同罪とか書いてある…」
頼経>「しかし今源氏に攻めてこられたら確実に死ぬ」

頼経>「すみません、やっぱ出てって下さい」
宗盛>「嘘だろ。平家敵に回すつもり?」
頼経>「まあ今の平家なら楽勝ですし」
宗盛>「なんだと?」(# ゚Д゚)ゴルァ

宗盛>「ちょっと戦にする」
安徳>「怖いよう」( ;∀;)
臣下>「大変です! 九州各地からこちらに軍勢が向かっています」
宗盛>Σ( ̄□ ̄|||)「九州各地から? 勝ち目ないわ…。ほんと墜ちるときは一瞬だな」
宗盛>「逃げましょう」
女たちも着の身着のまま。安徳天皇は粗末な輿に乗せられ、九州脱出。

宗盛>「どこ行こうとしても拒否られる。やべーわ」

田口成良>「平家の方々が海上を彷徨ってるって? ぜひ四国へおいでください」
宗盛>「行っていいの? ほんと助かる」

平家御一行様屋島到着
安徳>「ここにはしばらくいられるの?」
宗盛>「はい、まずはここに内裏を作りましょう」
安徳>「やったー、内裏だ!」

翌年(1184年)
宗盛>「木曾義仲が鎌倉の頼朝に滅ぼされた? 今のうちに義仲に取られた領地を奪っとこう」
→一時福原まで勢力を拡大するが一の谷の戦いで源義経に敗北後、またしぼむ。ガックリ
義経>「俺は強いよ?」ニヤリ


後白河>「宗盛に三種の神器返して源氏と和睦するように説得しよう」

屋島
宗盛>「何この院宣。三種の神器返したら帝が廃されて平家滅ぼされるとしか思えないんだけど。こんなもんに騙されてたまるか」ポイッ


後白河>「とりあえず神器なしで新しい帝を立てるか。今度は母親が平家と関係ない皇子にしよう」
後鳥羽(満3歳・安徳天皇の弟)>「はーい」\(^o^)/
→天皇が2人となる。ただし、祖母は安徳天皇と同じく平家の女性。
後白河>「今日からこの子が帝だから! 平家のところに帝はいないから!」

宗盛>「なんかとんでもないことになったな。しかし神器がある以上正当な帝はこっちだ!」


平清盛亡き後その前年に挙兵していた源氏が勢いづき、平家の凋落ぶりは目を見張るものがあった。三種の神器不在のまま新天皇を即位させるなど神器成立以降初のことだ。もう平家にはそれを止める力すらなかった。
今日まで皇位継承には神器の継承も行われていることからしてもあってはならないことが行われたのは間違いない。
それほどにまで清盛を失った平家は軽んじられたのだ。もしかしたら後白河法皇の神器の返還と源氏との和睦勧告が平家の生き残りの最後の道だったのかもしれない。応じていれば保元平治の乱のときのように主要な武将は死罪となっただろうがここまで根絶やしにはならなかっただろう。少なくとも安徳天皇は助かった。
そしてここにくるまでに都で増長しまくった平家は源氏の軍門に下ることをよしとする風潮などどこにもなかった。
彼らはそのプライドのために滅びたのだ。
→次回は屋島の戦いから!

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