【SS風に初挑戦】昭和の脱獄王は極悪犯か英雄か①

前回明治の脱獄王について取り上げたのでせっかくなのでもう一人の脱獄王についても取り上げておきたい。
昭和に活躍した(?)脱獄王、白鳥由栄である。
それにしても犯罪者なのに体制に刃向かった英雄のように見えてしまうのはなぜだろう。

白鳥由栄(1907-1979)
最初の犯罪と脱獄
1933年に仲間と強盗殺人。2年後の未解決事件再捜査の際に尋問により自白する。
青森刑務所に移送されるが1936年脱獄。

脱獄の手口
(文字で起こしてみたけど長くて読む気にならなかったので以下SS風で。一部脚色あり。参考はこちらのサイトです)
白鳥>「独房か…。さてどうやって逃げよう」
看守>「おい、便器の汚物は自分で捨てに行けよ」
白鳥>「わかったよ」
看守>「さっさと行け」
白鳥>「はいはい。(後ろチラッ)…鍵穴はあそこか。小窓から手を伸ばせば届きそうだな(ニヤリ)」

別の日
看守>「今日も汚物を捨てに行ってこい」
白鳥>「はーい」
白鳥>「(キョロキョロ)おっ、あんなところに針金落ちてる。ラッキー(サッ)」

白鳥>「針金どこに隠そうかな。布団の下だと汚物捨てに行ったときにすぐばれそうだし。…そうだ、汚物入れの底に飯粒でくっつけとけ」

白鳥>「次は合鍵づくりだ。毎日巡回の交代時間は誰も来ないな。よいしょ(小窓から手を伸ばして鍵穴に指を押し付ける)よし、指に跡がついた。これをもとに針金で合鍵を作ろう」(グネグネ)

数日後
白鳥>「合鍵出来たわ。さて今日の巡回の交代時間に脱獄しよう」

白鳥>「(鍵ガチャ)よっしゃ開いた。じゃあ出るか。…あれ、建物の鍵も裏門の鍵も全部一緒だ。不用心だな( ´,_ゝ`)プッ」

―逃走完了―


2度目の脱獄
3日後に捕まる。青森から小菅刑務所に移される。(ここでは平穏に過ごしていた)その後犯罪者を東京に集めておきたくないという事情があり1941年に白鳥は秋田刑務所へ移された。この年は東条英機内閣が組閣され、日本が軍国主義へと突き進んでいた時代だ。徴兵もできない囚人などに構っている暇はなかったのだろう。
そこでの過酷な扱いと看守の横暴な態度を直訴したいと考え1942年秋田刑務所を脱獄。

脱獄の手口
白鳥>「今度のところは鎮静房か。床はコンクリート、壁はコンクリートで固めてあってさらに銅板張ってあるのか。さすがに破れないな。扉は…だめだ角材で補強してあるわ」
白鳥>「残るは天井か。天窓まで3メートルってとこかな」
白鳥>「とりあえず上る練習しとくか…ふんばればなんとかいけそうだな」(白鳥の体力は並外れていた)

白鳥>「何とか上まで行けるようになったわ。おっ、天窓の窓枠のブリキ片と釘は引っ張れば剥がれそうだな(バリバリ)」
白鳥>「これでのこぎりでも作るか」

白鳥>「できた。また交代の隙間時間に窓枠切っとこう。隠し場所は天窓の木枠に括り付けとけば大丈夫だな」
(毎日10分ずつ切っていく)

ある日、暴風雨。
白鳥>「今日ならいけそうだわ」

既に枠が切ってあった天窓から屋根に出る。

白鳥>「あそこにある丸太登れば塀は越えられるな。よし、あそこから行こう(ヒョイ)」

―逃走完了―


→脱獄3回目に続く!

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