博物館 明治村にて |
今年も桜が間もなく満開になると各地で報道されている。
以前は桜=入学式のイメージだったが今では入学式を待たず散ってしまうことが多くなった。
これは温暖化のせいなのかもしれないが同じ品種とはいえなぜソメイヨシノは一斉に咲き、一斉に散ってしまうのか。
その儚さが美しいともてはやされるがそれは本当に日本古来の文化なのか。
ソメイヨシノの起源
ソメイヨシノは江戸中期から後期にかけて江戸の染井村で売り出されたことからその名がついたと言われている。
現在の研究でオオシマザクラとエドヒガン系の桜の交雑種であることはわかっているが誰かが掛け合わせたのか、それとも自生していたのかなどははっきりとしてはいないようだ。
そしてそれが今のように爆発的に広まったのは明治以降のことになる。
つまり、今儚さこそが美しいと人々が愛でている桜はその実、江戸以前の日本人には逆になじみのないものだった。
そして「ヨシノ」とついてはいるが奈良の吉野山とは全く関係がない江戸で売られ始めたというのも面白い。
また、実際の吉野山の桜は古代桜が多く、シロヤマザクラが中心となり、今でも200種3万本の桜が咲く。
きっとこちらの桜こそ、昔の日本人の知る桜だったのだろう。ソメイヨシノはその吉野の名を利用して全国に売り出そうと当時の人たちがしたのかもしれない。今だったら産地偽装で大騒ぎになるところだ。
ソメイヨシノのほとんどがクローン
そしてソメイヨシノが全国に植えられるようになったのは接ぎ木の技術によって同じ桜を量産できたからだ。現代のDNA解析で多くのソメイヨシノが全く同じ遺伝子を持つことが証明された。全く同じだからこそ同時に咲いて同時に散るわけである。それが美しいということになっているが全く同じとまで言われてしまうとなんかその作られた美しさが不気味な感じもする。(それでも桜は好きです!)
なぜソメイヨシノだったのか
それはやはりソメイヨシノが美しかったからだろう。
ソメイヨシノは花が散った後から葉をつけるので葉桜の状態で満開になることはない。そして花が大きく薄いピンク色で咲くというエドヒガンとオオシマザクラの利点を併せ持った桜だった。
決して病気に強いとかそういうわけではない。現にサクラてんぐ巣病という伝染病にソメイヨシノははかかりやすく、放っておくと花がつかなくなったり枯れたりしてしまう。
そのため日本花の会は以前は200万本以上のソメイヨシノの苗木を配布していたが今は配布を中止し、代替の苗木に変更している。
消えゆくソメイヨシノ
ソメイヨシノの寿命は約60年と言われている。また自然交配できない種なのでソメイヨシノの近くにソメイヨシノの芽が新たに出ることもない。きちんと手をかけていれば寿命を延ばすこともできるだろうが今後植え替えが進めば今のように一斉に開花情報がメディアで報道されることもなくなっていくだろう。
一斉に植えられて寿命を迎えたら植え替えにより一斉に姿を消す。なんとも儚い桜の象徴のような木だと感じた。
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