神武天皇が架空の人物ではないか、という説について前回述べたがならば次の天皇からはどうなのかということについて検証してみたい。
欠史八代
神武天皇のあとの2代〜9代の天皇も実在しなかったのではないかとする説だ。
まず、歴代天皇の寿命が異常に長いこと、兄弟相続もありうる時代背景なのに一貫して父子相続となっていることなどの不自然さによる説である。
もしそれも事実であるならば、次の10代天皇から今上天皇までは血が繋がるということになるのだろうか。
だが、その可能性も極めて低い。
天皇=大王(オオキミ)が絶対ではなかった時代
まだ天皇による政治が安定していなかった古代、オオキミが崩御すれば次のオオキミの座を巡って争いが起こる。自分王になれる絶好の機会を逃すような愚か者はいない。結果勝った者がオオキミとなるのだがそこに血の繋がりなどさして重要ではなかった。大統譜に記される天皇の名が実在であったとしてもそこに血の繋がりを求めるのには無理がある。
強くなければ滅ぼされる。何よりも強さが必要とされた時代だ。
アンコール王朝に見る共通点
12世紀頃のアンコールワットをはじめとするアンコール遺跡群を築いたアンコール王朝だが、その王制においてもまた、血の繋がりより強さが重要視された。王が死ぬと次の王の座は勝った者が手に入れてきた。そんな時代彼らが権力の象徴として築いたのがあの数多くの遺跡群である。とりわけ有名なアンコールワットだが、スーリヤヴァルマン2世の王墓として作られたと言われている。前の王より大きなものを作ることによって自分の方がより優れた王だと示す必要があった。そんな中、アンコールワットという巨大な建造物を残していったのだ。
その在り様はどこか、日本の古墳に似ている気がする。
巨大な古墳
大きな古墳を作ることによって権力の大きさを知らしめることはとても容易であるように思う。
なぜそのような巨大なものが必要だったか。つまりそうやって権力の在り処を示さなければならなかった、つまり天皇の存在がまだ絶対ではなかったとは言えないか。
仏教が伝来する飛鳥時代
飛鳥時代に入ると巨大古墳が作られることはなくなるが仏教が伝来したため代わりに寺院の造営に力が注がれている。やはり大きな寺や仏像を作って権威を示しているのかもしれない。
そして形骸化
これが平安時代になると貴族がこぞって天皇と自分の娘の婚姻を推し進め、縁戚関係を作りたがった。つまりこの時代には天皇はもう天皇として敬意を払われる存在になっていたのだ。
だが自分の娘が子を産むとなるべく早く即位させ、外戚として貴族が力をふるっていた。
天皇その人の権力はどこにいったのだろう。そもそも天皇家が絶対の王者として権力をふるい、自分の子にその地位を譲るという時代はどこに存在したのだろうか。
確かに祀り上げられて崇敬され、今上天皇まで血を繋いできた最も古い王族なのかもしれないが生き残るために時代に翻弄され続けている。絶対王者とは言い難い姿だ。
この後、院政など天皇家が権力をにぎる時代も確かに存在することになるのだがそれは本当に短い期間だ。また、自らで作り出した怨霊に天皇家が怯えるような時代でもあった。
天皇家とは何なのだろうか。調べていけばいくほどその疑問ばかりだ。
欠史八代
神武天皇のあとの2代〜9代の天皇も実在しなかったのではないかとする説だ。
まず、歴代天皇の寿命が異常に長いこと、兄弟相続もありうる時代背景なのに一貫して父子相続となっていることなどの不自然さによる説である。
もしそれも事実であるならば、次の10代天皇から今上天皇までは血が繋がるということになるのだろうか。
だが、その可能性も極めて低い。
天皇=大王(オオキミ)が絶対ではなかった時代
まだ天皇による政治が安定していなかった古代、オオキミが崩御すれば次のオオキミの座を巡って争いが起こる。自分王になれる絶好の機会を逃すような愚か者はいない。結果勝った者がオオキミとなるのだがそこに血の繋がりなどさして重要ではなかった。大統譜に記される天皇の名が実在であったとしてもそこに血の繋がりを求めるのには無理がある。
強くなければ滅ぼされる。何よりも強さが必要とされた時代だ。
アンコール王朝に見る共通点
12世紀頃のアンコールワットをはじめとするアンコール遺跡群を築いたアンコール王朝だが、その王制においてもまた、血の繋がりより強さが重要視された。王が死ぬと次の王の座は勝った者が手に入れてきた。そんな時代彼らが権力の象徴として築いたのがあの数多くの遺跡群である。とりわけ有名なアンコールワットだが、スーリヤヴァルマン2世の王墓として作られたと言われている。前の王より大きなものを作ることによって自分の方がより優れた王だと示す必要があった。そんな中、アンコールワットという巨大な建造物を残していったのだ。
その在り様はどこか、日本の古墳に似ている気がする。
巨大な古墳
大きな古墳を作ることによって権力の大きさを知らしめることはとても容易であるように思う。
なぜそのような巨大なものが必要だったか。つまりそうやって権力の在り処を示さなければならなかった、つまり天皇の存在がまだ絶対ではなかったとは言えないか。
仏教が伝来する飛鳥時代
飛鳥時代に入ると巨大古墳が作られることはなくなるが仏教が伝来したため代わりに寺院の造営に力が注がれている。やはり大きな寺や仏像を作って権威を示しているのかもしれない。
そして形骸化
これが平安時代になると貴族がこぞって天皇と自分の娘の婚姻を推し進め、縁戚関係を作りたがった。つまりこの時代には天皇はもう天皇として敬意を払われる存在になっていたのだ。
だが自分の娘が子を産むとなるべく早く即位させ、外戚として貴族が力をふるっていた。
天皇その人の権力はどこにいったのだろう。そもそも天皇家が絶対の王者として権力をふるい、自分の子にその地位を譲るという時代はどこに存在したのだろうか。
確かに祀り上げられて崇敬され、今上天皇まで血を繋いできた最も古い王族なのかもしれないが生き残るために時代に翻弄され続けている。絶対王者とは言い難い姿だ。
この後、院政など天皇家が権力をにぎる時代も確かに存在することになるのだがそれは本当に短い期間だ。また、自らで作り出した怨霊に天皇家が怯えるような時代でもあった。
天皇家とは何なのだろうか。調べていけばいくほどその疑問ばかりだ。
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