改元で盛り上がる日本

いよいよ新元号発表が明日に迫り、平成もあと1ヶ月を切ろうとしている。
世間は平成最後の〇〇で大騒ぎしているが、この騒ぎは改元されても改元最初の〇〇となりしばらく続きそうだ。

それでは過去の改元にはどのような意味があったのか。少し調べてみたい。

明治以前の改元
天皇の代替わりと同時に改元を行うようになったのは明治以降のことで、それ以前は元号は頻繁に変わっている。昭和のように64年を数えた元号は他にない。
ならば以前の改元はどのようなタイミングで行っていたのだろうか。

改元の種類
過去の改元には君主の交代を理由とした改元の他、吉事や凶事を理由としたもの、また干支の革年と言われる年を基準としたものがある。
明治になる寸前の江戸末期にもしばしば改元が行われており、安政の大獄と大地震を理由とした新しい元号に切り替えることで心機一転を願った改元や干支の年を理由とした改元などが行われている。
ただ今のように改元のタイミングが明文化されていたわけではないのでこういうことがあったら必ず改元しなければならないという明確な決まりもなかったようだ。
江戸末期に改元が多いのは人々が混沌とした時代を少しでも変えたいと願った証ということか。

元号法の成立
明治になると元号法という法律が定められ、元号の変更のタイミングが皇位継承のときのみと定められた。いわゆる一世一元の制である。
確かに天変地異があったからといって改元によってそれが解決することはない。実に合理的な決断だ。

だが、1つ思ったことがある。

元号とは本当に必要なものなのだろうか
海外で現在元号を採用している国はもうほとんどない。
全ては西暦に統一されつつあり、日本でももちろん今年が西暦何年か知らない人はいないだろう。
西暦はキリストが生まれた年を基準にしていると言われているのでそれに迎合したくないと思う人も多いだろうがパスポートに記載されている有効期限は紛れもなく西暦だ。それ以外は通じない。
また、次の元号は皇太子殿下の年齢を考えてもそれほど長くはならないだろう。さらに次を見ていくとその次の天皇となるのは弟の秋篠宮だ。皇太子との年齢差は5歳しかない。
改元は今までにないほどの頻度で行われることになるだろう。
現在ではそのたびに多くの業界に負担がかかる。
確かにまた改元で人々が浮かれ騒げば多少景気が良くなるということもあるかもしれないがそれ以上にシステムの変更や書類の作り直しなどかかってくる負担は大変なものになるだろう。

確かに元号は天皇制と並んで日本が誇るべき文化の1つなのだと思う。あって当然と思っている人が大多数だろう。
だがいつか人々がその価値よりそこに掛かる負担を鑑みたとき、途切れていくものなのかもしれない。
既に西暦が浸透した現代において、なくなって困る人などもういないかもしれないのだ。

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