安倍晴明ゆかりの地巡り③

前回は晴明神社だけで終わってしまったので😅今回はその他に行った晴明に関わりの深い場所を紹介。

一条戻橋
現在の戻橋全景。
正直、完全に通行のための橋になっている。
梅が綺麗に咲いていた。
晴明が式神を隠したと言われる場所。
今の橋は平成になってから架け替えられたので新しい。
下にも降りられるようになっていたので降りてみた。
真ん中のプレートには「戻橋」の文字。やはりここは一条の橋というよりは「戻ってきた橋」なんだろう。
晴明その人も父親の保名(やすな)をここで殺され、そして同じくこの場所で蘇生させたそうだ。
ただ、前述した浄蔵法師はその力により父親を生き返らせることはできたが一時的なもので再会を果たすだけにとどまったという。
他にも渡辺綱というもののふがここで女に化けた鬼に出くわし、その場で腕を切り落としてしまったという伝説も残っている。
まさに「彼岸」と「此岸(しがん)」、あの世とこの世の入り組む場所だ。

真如堂(真正極楽寺)

ここには晴明の念持仏といわれる不動明王が安置されている。
普段は非公開なのでパンフレットの写真。
この向かって左側がその不動明王だそう。
ちなみにこの不動明王、晴明が突然死して閻魔大王の前に引き出されたとき、この明王が閻魔大王にお願いして晴明は甦ったそうだ。不動明王もすごいが親子とも一度死んで生き返っている晴明も相当すごい。
さすが平均寿命が30代だった時代に80代まで生きただけのことはある。
40代まで生きると老人とみなされていたらしいからさながら晴明は生き神様であったに違いない。
死後祀られることにも容易に納得がいく。
逆になんで死んだんだ、とも思ってしまうけど😕
この世が嫌にでもなったんだろうか。
書物に残される晴明の姿は「虫を食べる癖があった」とか「朝廷からの依頼の祈祷をサボった」とかイメージとかけ離れたものもあったという。
無理とは知っていても本当の晴明像に少しでも近づいてみたいと思う、それが晴明の魅力なんだろう。
それでは晴明編はここまで。今回も楽しかった。

真如堂のあれこれも紹介。
真如堂の1枚めの写真のすぐ手前、敷地が見えてすぐわかるところにコインパーキングがあったのでそこに車を停めた。
そしてそのままあの赤い門をくぐってすぐのところに。
 わかるだろうか、無料の駐車スペースがあった😱
なんか「しまった!」と思った。


本堂の遠景と近景。

中では釈迦涅槃図の限定公開が行われていた。
随縁の庭。四つ目の家紋がデザインの元になっているそうだがバッチワークの庭としても有名らしい。
敷地内の墓地に斎藤利三の墓があった。
斎藤利三といえば明智光秀の家臣で山崎の戦いで敗れたあと、六条河原で処刑された人物だ。三代将軍家光の乳母、春日局の父親としても名高い。墓石には名前のみが刻まれていた。戒名ではないのは弔いはなされなかったということなのだろうか。

ここは天台宗のお寺なのだがわたしは申し訳ないが断然真言宗派。いつか弘法大師ゆかりの地についてもがっつり語りたい笑

残りの京都観光に関してはまた次回。

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