後悔など「あろうはずがない」

今年の3月、イチロー選手が引退会見で発した言葉。
多くのメディアがこれを取り上げ、「後悔なんてない」という意味だと解釈し、彼を褒め称えた。
確かにそうなのかもしれない。
東京ドームでのファンの声援を受けての言葉なのだしその解釈でいいのかもしれない。
言葉の本意なんて本人にしかわからないし外野が勝手にあれこれ言う方がおかしい。
だがなぜかわたしには違う意味に聞こえた。そして1ヶ月以上経った今でも深く心に残ってしまった。なのでこの言葉のわたしなりの解釈を今回は書いてみたい。もしこの解釈が「当然だろうが」と思われたらごめんなさいm(_ _;)m

引退試合だった試合
今回珍しいなと思ったのが引退発表が試合後に行われて「実はあの試合が引退試合だった」とあとから多くの人が知ったということだ。
普通は先に引退発表があってそれを知った人がチケットを買って客の入りが良くなる、という順番が多いはず。
でもイチローさん(もう選手ではないのでとりあえずさん付けにする)の場合、わたしのように野球にあまり詳しくない人間でも知っているくらいの超有名人なので引退発表を大々的に行ってから試合が行われたのならきっとチケットは転売屋によってとんでもない高値で取引され、もともとのイチローファンの人たちが観にいけなくなっていたかもしれない。また一部の人たちの間には引退試合説も囁かれていたようなのでそれはそれでよかったのだろう。

野球史に残る言葉
今回のイチローさんの言葉は彼の功績と合わせて間違いなく今後の野球史に長く残る言葉になると思う。
長嶋茂雄終身名誉監督(もうこの肩書だけでもすごい)の「我が巨人軍は永久に不滅です」と同じように。
冷静に考えて野球チームに対して不滅なんて一選手が言えるはずない。だが
わたしも映像でしか見たことはないがあの雰囲気の中でそれを言われると「巨人軍よ永遠なれ!」みたいな気分になってしまうからすごい。
現役時代をわたしは知らないがやはり偉大な選手というのはその影響力も強大だ。

そして今回のイチローさんの言葉
なぜかわたしには「後悔などあってはならない」と自分に言い聞かせている言葉のように聞こえてしまった。
かつて「50歳まで現役」と公言していた人だったからかもしれない。
日本球界でも大リーグでも華々しくプレーして、もちろんイチローさんの実力や努力があってこそのものだがかなり恵まれた野球人生だったと思う。
一般選手であれば引退試合どころか引退会見すらされず契約更改時に「来季はない」と言われ静かに消えていく人がどれだけ多いことか。
もちろんイチローさんもそれを知っているはずだ。
だからこそ最後の試合で自分の名前を叫んでくれる多くのファンを目の当たりにして「後悔するなんてあってはならないこと」だと解釈できないだろうか。
イチローさんの目は赤かった。本当はもっと現役を続行したかったと思う。でもそれができない現実があって応援してくれるファンもいて、「実は後悔している」なんて会見で言えるはずない。
だから「あろうはずがない」と語ったのだと、思った。

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