新5000円札に選出された女性 津田梅子

5年後に発行される新札の肖像画に津田梅子が選ばれた。
まさか彼女も死後90年も経ってこのような形で注目される日が来るとは思わなかっただろうが、前回は発行の2年前の発表だったのに今回は5年も前に発表されたのは内閣の人気取りじゃないかと勘繰ってしまいたくなる。特に今回出てきた麻生副総理兼財務大臣は先日の知事選で応援していた候補が落選して謝罪している姿が報道されてしまったし。
とはいえ今回で日本の紙幣が日本銀行券と呼ばれるようになってから女性の登場は現在の樋口一葉に続き2度目となる。
またしても5000円札であったということが女性の地位を象徴している気がしなくもないがなかなか女性が名を残せる時代は多くなかったのでそれも仕方がない、というところだろうか。

日本初の紙幣に登場した女性
ちなみにそれ以前の政府紙幣では神功皇后(じんぐうこうごう)という女性が選ばれている。古事記に出てくるこのお方はまず熊襲(くまそ)と呼ばれた反逆民を滅ぼしさらには神のお告げを受けて朝鮮半島の新羅にまで妊娠中にも関わらず遠征。そして戦わずして従わせたというとんでもない女傑である。妊娠中は旅行保険もなかなか入れるものがないので極力海外には行かない方がいいと現代でさえ言われているのにわざわざ滅ぼしに行こうなどとは神託があったとはいえものすごい決断だ。…しかしやはり実在はしていないと言われている。
そしてその架空の女性の採用から100年以上女性が紙幣に登場することはなかった。

6歳で渡米した少女
打って変わって今回採用された津田梅子は当然だが明治時代に実在した人物だ。ここで清少納言などが採用されていたらそれはそれで面白かったが(そもそも平安時代の人物画は皆引き目かぎ鼻で誰が誰なのかよくわからないから選びにくいに違いない。それにわたしでも頑張れば描けそうなものでは偽造防止にならない)かなりおかたいところを攻めてきた印象だ。
そして梅子の人生のターニングポイントは普通の人のそれより随分と早く、6歳のときに訪れている。
父親が彼女をアメリカ留学に応募させ、最年少ながら留学生に決定したのだ。
幼かった梅子はきっと誰よりアメリカ文化を純粋に吸収したことだろう。
日本への手紙も英語で書き、約10年後に帰国した折には通訳がいないと日本語が話せなくなっていたというから言い方には語弊があるがアメリカ人になって帰ってきたというのに近いかもしれない。

生涯独身を貫く
この帰国中に梅子は縁談を断り、結婚の意思がないことを表明している。
普通なら20歳そこそこでできる覚悟ではないが例えばアメリカ人に「日本では幼少の折は父兄に、嫁に行ってからは夫に、老いては息子に従えと言われているのでよく言うことを聞け」と言ったら大抵逃げ出して人権侵害を訴えるようなもので梅子にとってはとんでもなく非常識な提案だったと思われる。

女子英学塾創設
再度の留学を経て1900年に女子英学塾(現津田塾大学)を創設する。
・華族から平民まで身分にとらわれない教育
・結婚前の花嫁教育ではないレベルの高い授業
・独自性を維持するために資金援助は極力受けない
この3点の特色が目を引いたがこれを20世紀に入る前に提唱し創り上げた努力は並大抵のものではなかったと思う。

時代は進み平成となった今でさえ少し前までは(まだ残っているかもしれないが)「女性の仕事は結婚までの腰掛け」と言われてきた。
多分津田梅子の望んだ自立できる女性の育成は教育をどれだけ改革してもそれを受け入れる社会が、そして人々の考えが変わらなければ叶わないものなんだろう。
今回の紙幣の最終決定を下したのは麻生副総理だと言っていたがそれをどこまで理解して彼女を次の紙幣の肖像画に選出したのかは、気になるところだ。

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